創作人形
人形は、現在では工芸の一分野として芸術的価値が認められていますが、明治時代に入り、西洋に倣った美術の体制が確立し始めると、他の工芸とともに、絵画や彫刻等に比べて低く位置付けられました。そのため、地位向上を図る運動が興り、昭和2年(1927)、帝国美術院展覧会(帝展)に第4部「美術工芸」が設立されました。しかし、人形はこの流れからも取り残されたため、人形玩具研究家の西澤笛畝らは、人形作家らとともに人形芸術運動をけん引し、ようやく昭和11年(1936)に、改組第1回帝展への人形作家の入選が実現しました。第二次世界大戦後には重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、活躍する作家も現れました。 作家の個性が表れた創作人形の世界をご覧ください。