雛人形の飾り方

初めは、平らな場所に雛屏風を置き、簡素な作りの雛人形や道具類を並べていたようです。江戸時代後期になると、雛段も5段、7段と高くなり、五人囃子や三人官女、随身など、雛段をにぎやかに彩る人形たちも登場するようになりました。五人囃子は能の謡と囃子方を表したもので、特に江戸で好まれたのに対し、三人官女は宮中に勤める女性を表しており、京で生まれたと考えられています。雛人形の飾り方には、本来は細かい決まりはなく、江戸時代に描かれた本の挿絵を見ると、何組もの内裏雛がにぎやかに雛段を彩り、楽しんでいた様子がうかがえます。内裏雛の並べ方については、昭和3年(1928)の昭和天皇即位式や御真影の並び方などの影響を受け、向かって左に男雛を、右に女雛を置くようになりました。京都など関西地方では、現在も左側を敬う東洋の伝統的な習わしから、向かって右に男雛、左に女雛を置くことが多いようです。

三月ノ部 上巳雛まつり『温古年中行事』より
明治22年(1889)

『日本歳時記』より 貞享5年(1688)

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