問屋について

問屋で完成・販売される雛人形の段飾り
昭和36年(1961) 人形の東玉提供

岩槻は人形を中心とした「もの作り」の町ですが、産地としての発展は、問屋の存在を抜きにしては語れません。特に第二次世界大戦後、岩槻でも問屋が成長し、昭和62年(1987)には57軒もの問屋が同業組合に加入していました。※1 分業生産される人形はその流通や仕入れの形態も複雑で、製造、卸販売など数種の問屋があります。さらに、製造から卸、小売まで幅広く手掛ける総合メーカーも登場し、岩槻の産地としての知名度を上げました。問屋では、人形のパーツや附属品を仕入れ、組み立てて完成品を作ります。商品の企画も行うため、人形の流行も問屋が仕掛けていきました。店内の展示場では、シーズン前に見本市が行なわれます。高度経済成長期には、全国から小売店や百貨店のバイヤー、仲買業者が訪れ、非常ににぎやかだったといいます。現在では、インターネット通販なども盛んで、販売と流通の形態も多様化しています。

※1 「埼玉県民俗工芸調査報告書 第6集 埼玉の雛人形」
埼玉県立民俗文化センター、1988年

五月人形の展示場の様子 平成31年(2019)

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